2009年11月22日日曜日

11月23日~arrogance~

 「傲岸さ」の行く末というのを最近しみじみ思う。自分自身に「自信」がある人にとても多いが、傲岸は実は人間だれしも陥りやすい罠でもある。聖書でも「傲岸」は7つの罪悪の1つに数え上げられているが、つまりいつの時代のどこの地域であっても人間は自分自身の判断や能力を過信するあまりに、間違った道へ陥っていく。たとえ理性がそうでないと叫んでいても。
 また、傲岸さゆえに自分自身が周囲の環境のなかで正当な評価ないし待遇などを受けていないなどと思い込む傾向も、だれしも陥りやすい罠。だからこそ、自分自身の評価は結局、自己評価でしかなく他者による評価でなければ実は意味がなくなるわけだが…。

 自分の優秀さはけっきょく第三者によって与えられた水準を超えることはない。それを過信すると第三者が最終的に「ああ…」と絶句するしかない状況となり、自己評価に頼って生きていくしか道がなくなる。これを防ぐ方法は、ひとえに謙虚になるしかないのだが、常に頭の中で「自分は万能感におちいっていないか?」「本当に自分の判断は正しいといえるのか?」「間違っているとすればどこか?」「数字で計測できる方法はないか?」と戒めておく必要がある。より低レベルの水準で自己を把握していない場合…それは最終的に「本能」のにみ頼って生きることになり、そして「傲岸」というエゴの「罠」にはまっていく…

11月21日~訃報に~

 やはり同じ世代の知人が先に逝ってしまうと虚脱感を覚える。まあ10代、20代だと事故などでごく稀にそういうこともあったが、最近はやはりポツポツ先に逝ってしまう人が増えてきたような感じが…。その分、自分はがんばらないと、と思うのだけれど…。取り残されたような、あるいはこれから先のことをさらに考えていかなければといろいろ考える。自分のことでほかの周囲の方々に迷惑をかけたくはない。それは祖母の最後のときに、きれいさっぱり財産上も介護の面でも負担そのほかをほとんどかけずにPPKという生き様をみせてもらったことによるかもしれない。

2009年11月20日金曜日

11月20日~ローレンツメトリック~

 朝8時半からだいたい12時間労働があけてもまだ「足りない」…とおもうのが不可思議。時間はそこですごす空間によって「経過する感覚」が異なるのかもしれない。たとえ労働の内容が均一だったとしても。

 時間と空間をひとつのまとまりと考えると、「長時間労働」=「過重労働」という等式にはどうもなりそうもない。短時間であっても一日が暗くなるような過重労働もあるし、そうでない場合もある。これ、不思議。

2009年11月19日木曜日

11月19日~コンサバ~

 電車の中で「刑法入門」を読む。これまで民法や会社法中心の法律学習だったのだが、刑事事件の手続きや意義などを検討していくと、民事紛争とは異なる側面が見えてこれがまた面白い。倫理とは実はあまり関係がなく「利益をそこなう」という観点から刑事事件を扱う考え方が強くなってきているというが、多様な価値観があるなかで、ひとつの倫理観で人間の行為を「犯罪かそうでないか」を判断するのはリスキーだからであろう。

 と、いいつつ自分自身はきわめてコンサバに生きているのを自覚しており、まじめに会社にいき、まじめに働き、まじめに若い人を励ますという役割へ。励まされてきたから今度は励ます順序だろう…ということもあるが、自分自身でやってきたなかで「よかったこと」は後に伝えていきたいというのもある。とはいえまだまだ自分自身が「進化」していくのをあきらめたわけではない。自分も発展しつつ、ほかの人にもシェアできる部分はシェアしていこうという考え方になってきたわけだが、これってある意味ではやはりコンサバっていうことになるのだろう…。

2009年11月18日水曜日

11月17日~スーツ・モード~

 社内にはそれぞれ「やり方」や「社風」があるのでそれはそれで、うまく適合していかなくてはならないのだが、なかなかそれをうまく「乗り越える」のは難しい…。自分自身のバランスをうまくとっていくのは問題ないのだが、それを外部環境をうまく適合させていくのは一工夫いることはいる。まあ、別にそれはそれでいいのだけれど…。ただ私服からスーツに変わると一つはっきりするのは、スーツは着ているとそれなりに「仕事している」という心理モードにしてくれるということ。

2009年11月17日火曜日

11月16日~飲み会~

 気がついたらもう前回の更新から2ヶ月以上が経過している…。その間はずっと忙しかったのだが、なぜゆえか仕事(自分自身の仕事)というのは思うほど成果が上がっていない。なんかこう、もっとうまく自分の仕事の完成度を高めたいのだが、それが難しい。
 今日は飲み会で二次会まで付き合わざるを得なかったが、なるほど、「飲み会」につきあわないでもいい会社というのは外資系かあるいはもっとさばけた会社だったわけだ。一定の規模以上の会社で中間管理職だといろいろ気も使わなければならないわけで(というよりも気を使うのが仕事でもあるわけで)、今の状況でできる努力を少しづつしていかなければならない。思えば昔の自分は「飲み会」というものや「合コン」というものをすっかり頭からバカにしていたわけだが、家族を背負ったお父さんの中には「飲み会なんていやだよー」と思いながらも飲み会に参加している人もきっとたくさんいるのだろう。

 タイのシャブシャブを食べて、スープで稲庭うどんを食べれたのが幸せ。これは確かに私生活ではちょっと考えられない晩御飯かも…。