2009年11月22日日曜日

11月23日~arrogance~

 「傲岸さ」の行く末というのを最近しみじみ思う。自分自身に「自信」がある人にとても多いが、傲岸は実は人間だれしも陥りやすい罠でもある。聖書でも「傲岸」は7つの罪悪の1つに数え上げられているが、つまりいつの時代のどこの地域であっても人間は自分自身の判断や能力を過信するあまりに、間違った道へ陥っていく。たとえ理性がそうでないと叫んでいても。
 また、傲岸さゆえに自分自身が周囲の環境のなかで正当な評価ないし待遇などを受けていないなどと思い込む傾向も、だれしも陥りやすい罠。だからこそ、自分自身の評価は結局、自己評価でしかなく他者による評価でなければ実は意味がなくなるわけだが…。

 自分の優秀さはけっきょく第三者によって与えられた水準を超えることはない。それを過信すると第三者が最終的に「ああ…」と絶句するしかない状況となり、自己評価に頼って生きていくしか道がなくなる。これを防ぐ方法は、ひとえに謙虚になるしかないのだが、常に頭の中で「自分は万能感におちいっていないか?」「本当に自分の判断は正しいといえるのか?」「間違っているとすればどこか?」「数字で計測できる方法はないか?」と戒めておく必要がある。より低レベルの水準で自己を把握していない場合…それは最終的に「本能」のにみ頼って生きることになり、そして「傲岸」というエゴの「罠」にはまっていく…

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